LESSON 5 : れの途中





 時は平安。源平の時代に遡(さかのぼ)る。
 東国の山裾、とある領主のもとに兄弟が生まれた。兄たちは父に似て皆、精悍(せいかん)でたくましく育ったが、末の子は母に似て容貌美しく、野に咲く花を愛でる優しさを持つ少年に育った。風に渡る鳥の声を聞き、夜空の月を眺めて感じ入る豊かな心を持っていた。そればかりではなかった。少年は類まれなる弓の名手でもあった。狩りの為、弓矢を持って野山に分け入る男たちの中にも、少年ほどの腕を持つ者は一人として見当たらなかった。

 世は源氏が東国へ進出しようとするさなか。折しも、東と北の間で乱が起こった。それを鎮めるために朝廷から派遣された鎮守府将軍――彼は源氏の正統である――の軍勢の一人として、少年の父も出兵した。その際に陣頭に立っていた将軍の息子の若く勇壮な姿に憧れた父は、乱が鎮圧されて家に戻ってからというもの、息子たちに繰り返し語って聞かせた。「彼のような勇猛で立派な男になれ」と。
 少年が生まれたのは、父が出兵から戻ってきた数年後のことだった。父は兄たちに語ったのと同様に、まだ幼い少年にも繰り返し聞かせた。いや、兄たちと同じではなかったかもしれない。時間を経た分だけ、父の思い出の中の彼はいっそう勇ましく尊敬すべく人物として描かれ、また実際に当時を知らない少年の想像の中で、彼の姿はいっそう輝きを持って刻み込まれていった。より強く彼への憧れを覚えたのは、兄たちよりも少年のほうだったろう。

 少年が十になるやならずやの、ある秋の日。その彼と間近に顔を合わせる出来事が起こった。
 彼が父親に代わって鎮守府将軍となるほんの少し前のこと。先の争いで自分たちの兵として馳せ参じてくれた東の国々を見て回るうち、少年の父が治めるここへもやってきたのだ。父は田畑やそこで働く人々の様子を見せた後、自慢の息子たちを紹介した。少年は兄たちが順に紹介されていく様子を、父の腰にしがみついたままそっと眺めていた。最後に父は少年を前へ押し出した。この子は弓の名手だと父が言うと、馬上のその人がす、と片手を上げた。その指の先に、一本の銀杏があった。黄金に色づきかけた葉が、時折はらり、はらり、風の中舞い落ちていた。
 少年は彼を見上げた。何も言葉はなかったが、あの落ち葉を射ろ、と言っているのだとわかった。少年は自分の手になじんだ弓を構え、色づいた葉が落ちるのをじっと待った。やがて、はらり、葉が落ちた。少年の放った矢は、まっすぐにその葉を射抜いた。
「ほう……」
 驚く声が馬上から降ってきた。少年が再び見上げると、その人は笑みを浮かべたようだった。陽光はその人の背後から射していて、その表情をはっきり照らしたわけではなかったが、少年は確かにその人の笑顔を見たと思った。
「見事だ。褒美をやろう」
 菓子を渡してくれたその手はとても大きく、固く、そして温かかった。その手が、そっと少年の頭をなでた。
「さらに励め。その腕が、いつかおまえを導くだろう」
 力強い声が聞こえた。少年が三度(みたび)顔を上げると、すでにその人は馬を走らせていた。その背中が見えなくなっても、少年はいつまでも見送っていた。
 少年はこの日のことを生涯忘れなかった。そして、いつか彼のために役に立ちたいと、強く願い続けた。

 それから幾年か後、少年の願いが叶う機会が訪れた。
 東と北の間の地が再び乱れ、鎮守府将軍となっていた彼はそれを鎮めるために兵を出した。少年は、すでに父の跡を継いでいた兄とともに将軍方の兵として戦地を駆けた。今や少年は、健やかで美しい青年に成長していた。そしてあの日から磨き続けてきた弓矢の腕前で、将軍が乱を平定する大きな力となったのだった。
 当時、朝廷の命で乱を見事鎮圧したならば、戦地へ馳せ参じた諸国の兵たちには朝廷からの恩賞が与えられるはずだった。しかし、このときの戦いは朝廷ではなく将軍自らの意志で起こした合戦とみなされ、朝廷は一切の恩賞を支払わなかった。そこで将軍は私財で東国の兵たちに賞を与えた。兵たちは感動し、彼こそ信頼するに値する人物だと深く心に刻み、彼に仕えることを望む者が後を絶たないほどだった。

 青年に賞として与えられたのは、将軍家の所有する領地の一部だった。その土地は広さはさほどではないものの、実りの豊かな田畑と、枝ぶり見事な梅の木が一本あった。そのうちの一本の枝を土に挿し、根づかせた鉢を青年は将軍へと献上した。将軍はいたく喜び、その枝が花開く様を心待ちにして楽しんだ。一本きりだった梅の木は花を愛する青年の手によって一本、また一本と増え、いつしか花の盛りには多くの花客を集めるほどになった。
「花は梅田。芳香に誘われて迷い込めば、そこは梅の精かと見紛うほどの美しき人の治める土地よ」と。
 青年の治める土地は「梅田」と呼ばれ、青年もまたその土地の名で呼ばれるようになった。親木から伐り落とされた枝が、地に深く根づき新しい一生を始めるように、自分の魂もまたこの地に深く根づいていくのだろうと、咲き匂う梅を眺めながら青年は思った。そして二十歳を幾らか過ぎた頃、領地の農民の娘と恋に落ち、結婚した。

 梅田家は一男一女に恵まれた。世は日に日に騒がしくなり、争いの声もたびたび聞かれたが、幸いにも梅田の土地までその火が押し寄せてくることはなかった。愛する花に囲まれ、幼い時分と変わらず弓矢の腕を磨き、心を磨き、愛する家族と穏やかな暮らしを営んでいたある年の暮れ、一通の書状がもたらされた。都からだった。
 鎮守府将軍がその任を解かれて都に帰ってからも、青年は年が新しくなるたび梅の枝を贈り続けていた。それに対する返事はこれまで一度として送られてきたことはなく、都から書状がもたらされたのは初めてのことだった。
 彼――元・鎮守府将軍は「弓矢将軍」として白い旗を戴いた源氏の正統ではあったが、彼以上に天性弓馬の道に長じていたのは弟だった。そしてこのたび、弓馬射礼の家法は正式に弟が受け継ぐこととなった、と。そうした事情を記した最後に、こう書状は締めくくられていた。「永きに渡り、ともにこの道を見守ってほしい」と。
 書状を閉じようとすると、はらり、何かが膝の上へ舞い落ちた。銀杏の葉だった。おそらくその年の秋の最後のものだろう。だいぶ萎(しお)れてはいたが、そこに残された鮮やかな黄金色を前に、青年は涙した。幼い少年があの日の出会いを生涯忘れなかったように、彼もまたあの日の情景をその心に深く焼きつけてくれていたのだ。
 来る年の正月、この書状への返書として、青年はそれまでと変わらず梅の枝を贈った。一つの歌をその枝に結びつけて。

  人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける

 一世紀以上も前の歌人が詠んだ歌を借り、己の想いをそこに託したのだった。
 その後、二人が再会することはなかった。


 青年は家法正伝の人となった弟のもとへ書状を送り、梅田の土地の所有を預け、一門としてその家(総領家)を支え、代々一子をその弓の道に添わせることを約した。
 元・鎮守府将軍であった兄の子孫は後に幕府を開き、華々しい武家時代を創り上げていった。一方、家法正伝の道統となった弟の子孫はその弓矢の威徳でもって天皇より新しい姓を賜り、新しく家を興(おこ)した。代々、家法の秘事を受け継ぐ資格は血より、才。そして一子相伝と定められていたために、才ある子があれば、道統が直系から傍系へと渡ることもたびたびあった。
 幕府を開いた源氏の正統はその後数代で断絶したが、家法正伝は江戸の時代まで長く時の将軍家を支え、現在でも日本の弓矢の歴史に大きな流れを描き続けている。
 梅田もまた、その大きな流れの中で、けれど流されるままではなく、自らはその岸辺を歩くようにして弓矢の歴史と関わり続けてきた。九百年近くに渡る長い道のりだ。しかし、その長い道のりを現在まで彼らとともに歩き続けることはできなかった。

 弓矢の歴史とは、言い換えれば人間の歴史でもある。
 旧石器時代の終わりになって発明された弓矢は食糧を得るための道具だった。それがひとたび人に向けられたとたん、武器になった。
 四、五世紀以降、大陸から伝わった射礼思想――射は自分自身を正しくする道。的中しなくても(失敗しても)他者を怨(うら)まず、その原因を自分の中に求めて反省する、道徳の修養道であるという考え――は、それまでの単なる狩猟の道具や争いで使われる武器としての弓矢の考え方を根本的に変え、特に平安の時代は日本の朝廷でも礼式としての弓射が盛んとなった。
 だが、皮肉にもこの射をもって君子の争いとなす≠ニいう射礼の思想が、後の武家時代、弓矢は武勇の誉れとする武家思想へと結びつくことになった。
 「月や花を愛でてなんになる。荒れ馬を乗りこなし、強弓(こわゆみ)を引く訓練こそ、武士の家に生まれた者のつとめだろう」と。
 弓馬の訓練は心身の鍛練のみならず、戦闘技術の訓練として受け留められていった。弓は、再び戦闘のための武器となったのだ。

 梅田の祖となったあの美しい少年は野に咲く花や、風に渡る鳥の声、冴え冴えと夜空で輝く月の光を愛する、豊かな心を持っていた。弓矢の才能よりも、その心が梅田の血だといってもよかった。代々、梅田の当主はそうした自然の趣を愛した。そんな梅田の人間にとって、世の中が争いで満たされていくことは苦痛だった。梅田はずっと考えていた。弓矢とは、人と争い、人を殺(あや)めるためのものだったろうか。そもそも、人はなぜ相争うのだろうか。

 そして、現在からおよそ四百と数十年余り前のこと。梅田家第十四代当主はある決断をした。
 折しも、総領家では家法正伝が傍系の子へと再び渡ろうとしていた。それを機に、一門から抜けたいという梅田の願いを、総領家当主は一晩考えただけであっさりと許した。積年の梅田の苦悩を察して、いつかこうなるとわかっていたからか、単に梅田家が一門を抜けたところで総領家には何も影響がないと思ったからか、その真のところは定かではないが。
 一門を抜けた以上、その土地で暮らし続けることはかなわない(すでに四百年も前に総領家に納められた土地であったから)。領地の農民らに惜しまれながらも、一本の苗木を手に、梅田は花咲き匂う愛しい土地を離れると、これまでの蓄えでもって新たな土地――現在の東京は下町と呼ばれる辺り――を買い入れ、そこに自らの根を下ろすことに決めた。それはあたかも親木から伐り落とされた一本の枝が、新しい地に根ざし、新しい一生を始めるように。

 第十四代当主の決断はそれだけでは終わらなかった。一門は抜けたが、弓矢との関わりを絶ったわけではない。絶つわけにはいかなかった。梅田の血に流れる約束のため。「永きに渡り、ともにこの道を見守ってほしい」と。梅田の血にはあの日の終わりのない約束が流れ続けているのだ。国中が戦乱に明け暮れる日々を見つめながら、この道≠ニは一つの道統(総領家)だけを示すのではないと思い至った梅田家当主は、自ら流派を興すことを決めた。
 弓が人と人との争い、敵対する心に翻弄される様を見守り続けた歴史から生まれた梅田流は、徹底的に争うことを嫌う。徹底的に礼儀を重んじる。礼に始まり、礼に終わるのは当然のこと。
欲するなかれ 心安らかなれ 美しくあれ(欲する心が争いを生む。心安らかであれば、争いは生まれない。正しき心は何にも勝り、美しい)
 これを実践して表すのが梅田流の弓とされた。

 けれど、その後も弓は人の世に翻弄され続けた。平和が続いた江戸時代には学ぶべき術の中から除外され、西洋の近代科学が世を支配した明治には全く実用の価値なしとして廃(すた)れていった。大正・昭和の時代には心身を鍛練するとして学校教育の中で復活したが、世界大戦が始まると再び弓矢は実戦の方向へ流され始めた。
 歴史は、繰り返す。

 九百年も前の秋の日、馬上の人が少年に射らせたのは命ある空の鳥でも、野山の獣でもなく、一枚の葉だった。その人は、これから先、自分たちの国が争いで満ちることをきっと知っていたのだろう。数年後にこの少年が戦場で弓を握ることを知っていただろう。それでも、世の争いとは関わらない、美しい真の弓があることを物言わぬ葉を通して少年に教えたかったのだろうか。
 だからこそ、家法正伝が自分の手を離れると決まったとき、「この道を見守ってほしい」と伝えたのだろうか。源氏の正統という名家といえど、争いになれば己の血筋が絶えることがあっても不思議ではない。それをすべて見通した上で、彼はあの日の少年に託したのだろうか。日本の弓が長い長い矢道(やみち)の果てにどんな的を射るのか見定めてほしい、と。
 その真実も、今となっては決してわからないが。その真実さえも探し続けることが梅田に課せられた使命だといえるのかもしれない。
 弓矢を創り出したのが人間の手である以上、弓矢の歴史とはそれを握る人間の歴史である。
 弓の道とは、人の道である。
 梅田の血には、終わりのない約束が流れている。そして、これからも流れ続けていく。
 今はただ、流れの途中。

 現在、梅田家は誓次(せいじ)が第二十五代当主の座を継いでいる。その子、恋次は梅田家の次代当主にして、梅田流第十三代道統主となる運命(さだめ)である。



 
* * *



 矢取道(やとりみち)を歩いていると、ふいに湿気た風に強く髪をあおられた。乱れた髪を手で押さえ、見上げた空には低い月が出ている。けれど、ほんの数秒後には西から流れてきた雲の中に姿を隠してしまった。おぼろ月というには雲が厚い。それもそのはず、春はとうに過ぎ、梅雨はもう目前だ。矢道と矢取道とを仕切るために造られたこの生け垣の紫陽花(あじさい)も咲き揃いつつあった。紫陽花は雨に濡れてこそ風情がある。
「よくできたものだな……」
 自然とは、よくできたものだ。晴れの季節には太陽の光似合う花が咲き、雨の季節がくればそれにふさわしい花が咲く。
 生い茂った葉の隙間から見える矢道に目をやり、恋次はふと歩く足を止めた。

 ……矢は心。

 ここは、無数の心が放たれる場所。
 そんな当たり前のことが、今は不思議とこの胸に絡みつく。
 つかの間覚えた迷いを振り払うように、恋次は再び歩き出した。
 自分の前には、この矢道のようにまっすぐな道が続いている。未来へ続く、まっすぐで長い道が。
 いや、前だけではない。後ろにもあったのだ。気の遠くなりそうな遙(はる)かな道のりの先に、今、自分は立っている。
 めぐる季節の中、決められた時期に咲く花のように、長い道程の途中、今この時と決められて自分は生かされているのだ。
 それが定めならば、
「生きるさ……」

 今はただ、流れの途中。


 
*


 母が夕食の準備をして待っているのはわかっていたが、道場を出た恋次は母屋(おもや)へは戻らず、そのまま裏木戸から通りへと出た。

 ……これで歩くのは久しぶりだな。

 弓道着である袴姿がめずらしいのか、すれ違う若い学生が時折こちらを振り返る。その視線を受け流し、歩いた。目的の場所までは、ほんの数分の距離だ。
 昔ながらの下町商店の隣にある二階建ての家。角を曲がれば、すぐ塀の向こうで槐(えんじゅ)の木が風に葉をそよがせている。ほんの一年前まであの二階の窓へと伸びていた枝は、今は伐られて、無い。だが、じっと目を凝らすと、伐られた枝の根本から早くも鮮やかな新芽がちょこんと顔を出している。無邪気なその様に、つい子どもの頃を思い出す。

『れんちゃん! ここだよ、ここっ! 上! えへへ、びっくりした?』

 よくあの枝に腰かけて、無邪気な笑顔が声をかけてくれたものだった。
 遠く幼い日ばかりではない。ほんの一年前の七夕も、そう。あの枝は自分たちにとって特別な夜を演出するための大事な相棒だった。その枝が、今年はない。

 ……ああ、そうか。今年はどうしようかな。

 いや、それよりも、

 ……七夕までにはちゃんと仲直りしなくちゃな。

 連なる楕円(だえん)の葉が、さらさらと涼しげに揺れる。それを見つめているうち、自然と頬に微笑を浮かべていた。
「あら、恋ちゃん?」
 覚えのある声に、恋次は振り返り、会釈した。
「こんばんは」
「こんばんは。やっぱり恋ちゃんね。見違えるわけはないと思ったわ。こんな袴姿の素敵な男の子、この町内には恋ちゃんを置いていないものね」
 明るい笑顔で近づいてくるのは、龍太の母。
「今、裏の木下さんちに回覧板を置いてきたところなの。あの子たちなら、みんな帰ってるはずよ」
 上がっていくんでしょう、とさも当然とばかりに勝手口の戸へ手をかける相手に、いえ、と恋次は短く首を振った。
「今は通りがかっただけですから。時間も遅いですし、また今度お邪魔させていただきます」
「あら、そう? 残念ね。今度ゆっくり、うちでお夕飯食べていってね」
「ありがとうございます。それじゃ……」
 失礼します、と再び会釈をして歩き出す。
 家に帰り着く頃には、空にはいっそう厚い雨雲が垂れ込めていた。今にも降りそうだ、と思いながら表の門をくぐれば、ぽつ、と一滴の雫が足下の敷石を穿(うが)った。
「いよいよ梅雨か……」
 
 季節はめぐる。
 時はめぐる。

 今はただ、流れの途中。





To be continued.

劇中時間 06/12(Thu)
(※この物語はフィクションです。実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。)




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