* * *



 校舎3階、体育館。
 男子バスケ部が練習に励むそこは熱気に包まれていた。テラスからふらり迷い込んだ初夏の風が、入る場所を間違えた、とあわてて退散しそうなほど。
「うわっ、とと!」
「痛ッテ!」
「悪ィ、宮川。汗溜まりで滑った。1年! モップ!」
「ハイッ」
 少しの涼しさも感じないコートの上に部員たちから滴り落ちた汗が光り、3年生に指示された1年生がモップを手に忙しく駆け回っている。
 体育館の反対端では、手の空いている1年生たちがその様子を眺めてささやき合っていた。
「さすが先輩たち、気合い入ってんな」
「次は大一番だもん、当然だろ」
 大一番、とその一言に示し合わせたように彼らのまなざしが向かうのは、同じく体育館の隅に置かれたホワイトボード。今日の練習メニューやフォーメーションなどが所狭しと書かれた上に、大きな紙が貼られている。ずらりと校名の並んだそれは、現在戦っているインターハイ予選の組み合わせ表だ。
 今年の都予選の参加校は300余り。四つのブロックに分かれ、それぞれのブロックを勝ち抜いた四校が決勝リーグを戦い、上位二校がインターハイに出場できる仕組みだ。抽選により九条が振り分けられたBブロックでは、すでに3回戦までを消化している。三日後の日曜日に行われる4回戦、そこで待ちかまえている相手が、
「涼星(りょうせい)、か……」
 Bブロック組み合わせ表の一番上に記されているシード校、涼星学園。
「シード順位は5位でも、強敵だよなー」
「せめてもう一つ次の山だったら、5回戦まで当たらなくてすんだのに」
「そんなこと言ったって仕方ないだろ。勝ち抜くにはどうしたって、どこかでやんなきゃなんないんだからさ」
 Bブロックに分けられたのは70余り。並ぶ校名、それぞれから伸びる一本の直線。いくつもの曲がり角を折れながら進むそれは険しい道。そして、ゴールまで続く道はこの中でたったの一本なのだ。
「勝つさ、きっと」
 その場に居並ぶ1年生の中でひときわ小柄な一人が言った。
「相手がシードだろうとなんだろうと、そう簡単に直也先輩は止められない」
「……だよな。1回戦も2回戦も、入倉先輩マジ絶好調だったし」
「ミクのひいき目を差し引いても、入倉さんはやっぱすげーよ。先輩たちの中で別格」
「別格って認めてるなら、ひいき目って言うなよ」
 む、と口を尖らせた小柄な一人を皆が朗らかに笑う。そうして再び示し合わせたようにまなざしを向けるのがコートの中。
 ガシャン、と大きな音でボールがリングに弾かれた。コートの外まで転々と弾き出されたそのボールを直也が険しい表情で見つめていた。
「直也、ごめん! せっかくいいボールくれたのに」
「……いや、今のは俺のパスがブレたから」
 シュートを外したチームメイトに首を振って、直也は頬を流れる汗をTシャツの肩で拭う。苛立ちを吐き出すように大きく息を吐いたとき、ピッと軽やかな笛の音が体育館に響いた。マネージャーの「休憩」の合図に皆がほっと息をつくが、そんな周囲の様子も直也の目には入っていない。
「直也、今のプレーだけどさ、神田さんにディフェンスがついたとき、俺がこう……直也? 聞いてる?」
「ん? あ、ああ……」
 岡田に顔をのぞき込まれ、はっとわれに返る。
 そこに、マネージャーの伊藤も歩み寄ってきた。
「入倉、大丈夫か? 集中力が散漫だぞ」
「すいません……」
 放られたドリンクボトルを受け取りながら、素直に謝る。
「3回戦が不戦勝だったからって、気持ちが途切れたわけじゃないだろ?」
「それは、まあ……」
 先週の日曜に行われた1回戦、今週の日曜に行われた2回戦ともに、ここ数年で一番と言っていいほどの快勝でチームは試合を終えた。同じ日の午後に行われるはずだった3回戦は相手チームの棄権によりまさかの不戦勝だったが、それくらいで戦う気持ちを忘れたわけじゃない。
 3回戦を突破した現在、チームはブロックベスト16。次の4回戦に勝てば、ベスト8。
シード校を倒してのベスト8となれば、順位決定戦はおろか、それこそ決勝リーグだって夢ではなくなるかもしれない。
 1年生たちが言っているそんな冗談だって、ここまで勝ち上がってきたから言えることだ。チームの雰囲気はいい。それをガードの自分がぶち壊すわけにはいかないと頭ではわかっていても、直也の心のうちには取り去れない一つの重石(おもし)があった。
 伊藤が、じっと直也の顔を見下ろす。その表情の奥にあるものをまるで見透かしたように微笑んで、そっと直也の肩に手を置いた。
「如月(きさらぎ)を引退させるのはまだ早いぞ」
 はっ、と直也は顔を上げる。
 トーナメント方式であるこの予選は、決勝リーグ以前で一度負ければ、それで終わり。3年生たちには引退≠フ二文字が待っている。
 隣で岡田も顔つきを改めた。
「まだまだ最後の試合になんてさせませんよ。な、直也」
 ガシッと長い腕に肩を抱かれ、直也はうなずいた。コート外での心配事をコート内に持ち込んでいる場合ではないだろう。ふがいない自分を戒めるように、ぎり、と強く奥歯を噛みしめる。そうして、主将である如月へとそっと視線を向ければ、彼の隣には寿人がいた。休憩中だというのにドリンクボトルも取らずに、なにやら如月と念入りに話している。
「そういえば伊藤さん、綾井のことなんですけど……」
 岡田も同じ方へと顔を向けて、わずかに首を傾げた。
「あいつ、いっつも右膝にサポーターしてるけど、もしかして膝あんまりよくないの?」
 何気ない岡田の問いかけに、直也は思わず伊藤の顔を振り返った。
 岡田のあっけらかんとした表情と直也のしかめ面を順に見返した伊藤は、またいつもの柔和な笑みを浮かべる。
「俺も気になって最初に訊いたんだけど、だって、このほうが俺、似合うだろ?≠チて笑ってたよ」
 あのサポーターは見かけだけ。
 伊藤の言葉を岡田は素直に受け留めたらしい。
「ははっ、なんだ、そっか。綾井らしいって言えば、らしいかも。いつもおしゃれなウェア着て練習してるもんな」
 笑顔の岡田が再び見やる先には、まだ如月と話している寿人の姿。ちなみに今日の寿人の格好は黒のTシャツに赤のショーツ。黒地のTシャツはユニオンジャックが描かれた星型のギターがプリントされていて、どこかのライヴ会場で売られていそうなデザインだ。
 視線を感じたのか、ふと寿人が振り向いた。一度目をきょとん、とさせた後で、にっこりと笑い、Tシャツの裾を引っ張っている。「これ、イイだろ」とでも言っているようだ。
 直也は寿人の笑顔には目もくれず、一度だけ右膝の黒いサポーターへ鋭い視線を向けると、無言でドリンクボトルのストローをくわえた。伊藤がなにも言わない以上、自分が気にしていても仕方ない。それよりも今気になるのは、大事な友人のこと。そう吹っ切った顔で、ドリンクを飲み下す。
「伊藤さん……あの、龍太のことなんですけど……」
「入倉が気にしてるのは、やっぱりそのことか」
 伊藤が苦笑して肩をすくめた。
「沖本の様子がおかしいことは俺も聞いてるけど、今回は俺の出番はないな」
 伊藤には以前、龍太がつらいときに助けてもらったことがある。伊藤は龍太たちと出身中学も同じで、つき合いも長い。だが、今度ばかりは自分にはどうしようもないと苦笑顔。
「周りには沖本のことをよくわかってるやつがちゃんといるだろ。あいつらに任せておけば大丈夫」
「…………」
 な、と今度は優しく微笑んだ。
 直也はこく、とうなずくと、再びストローをくわえる。
 開け放たれた通気戸からようやく一筋の涼風が入ってくる。その風に茶色い髪を自由に遊ばせながら、直也はじっと龍太を想った。



 
* * *



 風の中、ふわりと一つの飛影(ひえい)が舞う。その影は青空に引かれた直線を難なく飛び越え、地上に置かれたマットの上へと軽やかに着地した。
「うわぁ……」
 校庭の東端で、一真は思わずため息をもらした。
「綺麗……」
 助走から着地まで、まるで無駄な動きのない龍太のジャンプは、思わず言葉を失くして見入るほどに美しかった。
 重力に逆らって地面を離れた身体がふわりと空中に止まって見える。確かに、飛んでいる。
 中学時代に体育の授業でほんの数回ハイジャンプというものに挑戦したことがあるが、足に絡んだバーもろとも落下しては、しばらくマットから起き上がれなかった当時の自分を思い出して、一真は前髪を指先でひっかいた。
「同じ人間とは思えないな……」
 まるで、龍太の背中には見えない翼が生えているようだ、と。
 再び助走を始めた龍太の姿を目で追った。
 リズミカルに地面の上を弾んだ身体がバーの斜め前方で一直線の棒になる。そうして強く地面を蹴って空中に飛び出した身体は、今度はふわりと柔らかな弧を描いてバーを越えていく。このバーを越える一瞬に、確かに身体が宙に浮いている。時間が止まったかのような錯覚を覚える。いや、本当に龍太はその瞬間、時間を止めているのかもしれない。龍太の身体がマットの上へと落ちても、バーは1ミリたりとも揺れていなかった。
「うわぁ……」
 一真が何度目かのため息をこぼしたとき、すっと隣に細い人影が並んだ。
「あ、柚木(ゆずき)さん、お疲れさまです」
「うん、お疲れ」
 優しげな笑みを浮かべる柚木。彼の右手に握られたストップウォッチは忙しなく時を刻み続けている。瀬戸の姿が校庭に見えないということは、彼は今学校の外を走らされているのだろう。
「瀬戸はロードですか?」
「うん……」
 うなずく柚木の目はしきりに龍太を追っている。その表情がどことなく憂い顔であることに気づいて、一真は大きな瞳を瞬かせた。
「あの、沖本さん、すごく調子がいいみたいです。今日はまだ一本も落としてないんですよ」
「…………」
「ちょっと様子がおかしかったから心配してたんですけど、この調子ならさ来週の予戦会は心配いらないみたいですね。少し痩せて見えたのも、沖本さんなりに調整してたのかなって思――」
「ダメだよ」
「……え?」
「今の龍太くんは全然ダメ」
「柚木、さん……?」
 右手のストップウォッチへと一度目を落とし、再び顔を上げた柚木が小さく息をついて言った。
「龍太くん、全然楽しそうじゃないでしょ?」
「あ……」
「このまま跳び続けたら、本当にいいときの自分のジャンプを見失う。今は一度落ちたほうがいいんだ」
「でも、予選会はもうさ来週で……」
「大丈夫」
 めずらしいくらいにはっきりと柚木が言い切った。それまでの憂い顔に、今は強い意志が見えている。
「大丈夫、僕が間に合わせるよ」
 龍太のもとへと歩み寄る柚木の背中を、一真はなにも言えずに見送った。
 校庭の端にあるベンチに腰を下ろし、そこにある一冊のノートを手に取る。表紙をそっとなで、けれど開く前に再びベンチの上へと置いた。
「勉強、してるつもりなんだけどな……」
 こんなとき、まるで龍太の力になれない自分が情けない。自分は単に部内の雑用をこなすためだけにマネージャーになったわけじゃない。そう思うのに、柚木の背中を見ていたら、足が前へと出なかった。
 柚木は瀬戸のトレーナーだ。高校に入ってイチから陸上を始める瀬戸につきっきりで指導している。だが柚木自身、足の故障がなかったならば今頃は予選会に向けての練習をしていたはず。そうなれば、部員一人ひとりに気を配る役目を自分はもっと負っていなければならなかったはずだ、と一真は膝の上で拳を握った。
「龍太くん、ちょっといいかな」
 柚木が声をかけると、それまでマットの上で仰向けに転がっていた龍太が起き上がった。部室で顔を合わせたときには昼休みの空元気が続いていたが、今は柚木の言葉におとなしく耳を傾けている。
「ほんとだ、全然沖本さんらしくない……」
 落ち込んでいるくせに、それを隠してただおとなしく柚木の前にいる龍太なんて、全く龍太らしくない。
「……やっぱり原因は梅田さん、なのかな」
 噂に聞いた話が本当ならば、それこそ自分が首を突っ込むような話ではない。だが、原因がそれとわかっているなら、やっぱりどうにかしたい。いや、どうにかしてほしいと思う一真だ。
 腕時計に目を落とした一真は、気を取り直すように一度大きく息を吐くと、ベンチの足下に置いてあったクーラーボックスからドリンクボトルを一つ取り出し、立ち上がった。そして、同じ校庭の東で黙々とハードルトレーニングをこなしていた小坂のもとへ。
「小坂さん、休憩です」
「お、ありがとな、遠藤。はー、生き返る」
 冷たいドリンクを喉に流し込んで小坂が笑う。そのとき、視界の端を見覚えのある人影がよぎったことに一真は気づいた。
「あれ……?」
 校舎の中央へと続くガラス扉の向こうからしきりに校庭の様子をうかがっていたその人物は、一真と目が合うなり、くるっと背中を向けて校舎内へと戻っていく。
「どうしたんだ、遠藤?」
「あの……ちょっとだけ、俺外してもいいですか?」
「ああ、かまわないよ」
「すいません、すぐ戻ってきますから」
 校庭の端を駆け、ガラス扉をくぐって校舎内へ。そこは校舎1階の中央ロビーだ。すぐ左前方に中央階段、奥には正面玄関が見えている。部活中や下校しようとする生徒たちの中に先ほどの人物はいない。一真はきょろきょろと辺りを見回し、東階段の方へと目を向けたところで、あ、と大きな目を見開いた。
 追いついて名前を呼んだのは、もう東階段の目の前。右手に大きな会議室がある所。
「マルちゃん、どうしたの?」
 長い黒髪を揺らして振り返った相手、丸山が申し訳なさそうに肩をすくめた。
「見つかっちゃったか……ごめんね、部活中なのに」
「ううん、平気だけど。やっぱり俺に用事があったんだ?」
「うーん……ちょっと、お姉ちゃんに頼まれて……」
「あ……もしかして、勧誘?」
 丸山の姉、と聞いて思いつくことはただ一つだ。前髪をひっかき訊ねれば、丸山はとたんにあわてた顔になる。
「ごめんね、迷惑だよね! いいの、お姉ちゃんの言うことなんか全然気にしなくていいの! せっかく陸上部に入ったのに今さらほかの部に誘われたら、困るよね! もう、お姉ちゃんてば未練がましいんだよ……そ、それじゃあ、またね! 遠藤くん!」
 一気にまくし立てて、丸山はくるっと背を向けた。
「あ、待って、マルちゃん!」
「え?」
「あの……お姉さんの気持ちには応えられなくて申し訳ないんだけど……反対に俺が勧誘してもいいかな」
「へ?」
「マルちゃんって部活やってないんだよね。でも、体育祭の団別リレーに選ばれるくらい足速いし……陸部、ちょっとのぞいてみたらどうかなと思って」
「…………」
「走るの、好きじゃないかな」
 前髪をひっかいていた手を下ろし、まっすぐに相手を見下ろす。
「……あたし――ぎゃっ!」
「うわっ!」
 丸山が何かを言いかけたその瞬間、すぐ横にあった扉が前触れなく開いた。そこは会議室。あまりに静かだったため、中に人がいるとは一真も思っていなかった。
 大げさなまでに驚く二人を前に、会議室から出てきた男子生徒は露骨に顔をしかめている。
「騒々しいな……」
 ぽつ、とつぶやき捨てた彼は手に持っていた黒いファイルを脇に抱え直すと、足音を立てずにレンガ敷きの廊下を歩いていった。
「び、びっくりした……」
「うん、心臓飛び出るかと思った……」
 はあ、とそれまで胸に溜めていた息を同時に吐いて、一真と丸山は顔を見合わせる。そして二秒後、同時に笑い出した。



 
* * *



 時、同じ頃。
 校舎4階の生徒会室では、二人の笑い声とともに和やかな空気が流れていた。
 部屋の中央に置かれた白テーブルを挟んで、会長の須賀と副会長の栗原の姿がある。
「あ、ねえ、これなんかもいいんじゃない?」
「どれ? ああ、そういやこんなこともあったっけ……ははっ、月島のやつすげー顔だな」
「かわいいよね」
「よし、これも入れるか」
 テーブルに広げられた写真の海から須賀が拾い上げた一枚。そこには、校舎内に迷い込んだ小さな野良猫を追い出そうと奮闘する月島の姿が写っている。笑った栗原がひょい、とその写真を須賀の手から抜き取り、脇に置かれていた平たい長方形の缶の中へとそっと投げ入れた。缶の中にはすでに何枚もの写真が入れられている。
 そうして再び二人が写真の海へと目をやったとき、コンコン、と実に控えめな音で扉がノックされた。
「恋次じゃないよな?」
「うん、梅田は今日自分がやることは終わってるからって言ってたもん」
 須賀の返事の後に開いたドアから顔をのぞかせたのは、一人の男子生徒だ。
「あ、影山(かげやま)くん、お疲れさま」
「お疲れさまです」
 影山と呼ばれた彼はノックと同じように控えめな音量で挨拶を返し、足音を立てずに室内へと踏み入った。脇に抱えていた黒いファイルを胸の前へと抱え直し、室内を軽く見回してわずかに眉根を寄せる。
「月島さんはお休みですか」
「あいつなら今日は病欠。風邪だってさ」
「そうですか」
 影山は静かにうなずいて、胸のファイルへと視線を落とした。さら、と長めの前髪が流れて彼の表情を半分覆い隠す。
「それ、監査の書類だろ? 俺たちが預かっとくよ。金庫に鍵かけときゃ問題ないだろ」
 気さくな笑顔で栗原が手を差し出す。が、顔を上げた影山はうなずかずに、さらに強くファイルを抱え直した。
「預けられません。預けられるのは会計委員長だけです」
「……俺たちが信用できないってか」
「それ以前に、俺は規則に従うだけです。副会長なら頭に入ってるでしょう? 生徒会会則第32条……会計監査委員会は中央執行本部委員会・会計委員長直属の機関である。よって――=v
「よって、同委員長を除くほかのいずれの機関からも干渉されない=Aだろ?」
「そうです」
 生真面目にうなずく影山に栗原は苦笑する。
「わかってるよ。べつに無理によこせとは言わないさ」
「それじゃあ、失礼します」
 くる、と踵(きびす)を返した影山が、ふと歩き出す足を止めた。テーブルに広げられた写真をちら、と見やり、つぶやく。
「楽しそうですね、会長の仲良しこよしで選ばれた副会長さんは」
「ああ、楽しいよ……ところで、おまえ、来期の会計委員長に立候補すんの?」
「その質問に答える義務がありますか?」
 反対に問い返し、影山は会室を後にした。
 音もなく閉じられたドアに向かって、栗原は「べ」と短く舌を出す。
「久しぶりに聞いたな、あの手のイヤミ」
 軽く笑い飛ばしたが、向かい合う相方は黙ったままだ。
「…………」
「須賀?」
「あたしは……」
 ぽつり、須賀がつぶやく。
「あたしは副会長に栗原を選んだこと、間違ってなかったと思う」
「俺だって思うよ。っていうか、おまえが違うやつを選んでたら、会室に乗り込んで暴れただろうな」
 ひょい、と栗原が大げさに肩をすくめれば、ようやく須賀も笑みを浮かべる。
「栗原はしないでしょ、そんなこと」
「さあ、どうかな」
 いつものように気さくに笑って写真を眺める栗原を、須賀がじっと見つめる。その表情はひどく穏やかだ。
「……栗原」
「ん?」
「ありが――」
「おっと、それを言うのはまだ早いだろ。任期は来週いっぱいまであるんだぞ。途中で俺をクビにしたくなったんじゃなければ、それは最後の最後までとっておけ」
 たまには出し惜しみしたほうがいいこともある、と。もったいぶる栗原の言いように須賀はふわふわの髪を揺らして笑った。
「うん、わかった」
 そうしてまた二人で写真選びを始めたとき、コンコッココン、と今度はやけに弾んだ調子のノックが聞こえてきた。
「これは金森(かなもり)だな」
 栗原がドアを開けると、言ったとおりの人物が廊下に立っている。校外委員の金森がにこ、と人当たりのいい笑顔で右手に持っていたものを顔の横にひらひらと掲げた。
「や、お二人さん。郵便のお届けでーす」
「郵便?」
「うん、そう……うぉ、すごい数の写真だな。卒業アルバムに載っける写真でも探してんの?」
 室内に踏み入るなりテーブルの上を眺めて驚いた金森が、同じテーブルの端に持ってきた封筒をそっと置いた。
「篠ヶ崎の生徒会から至急の手紙。たぶん支部報についてのことだと思うけど、宛名が俺と九条会と連名になってるから、一応開けずに持ってきたよ」
「おう、サンキュ。月島と恋次はいないけど、開けていいよな」
「問題ないっしょ」
「座って、金森。紅茶淹れるね」
「ありがと、須賀。ちょうど喉渇いてたんだ、うれしー」
 にこにこと愛嬌のある笑顔で金森が栗原の隣へと落ち着く。
 反対に立ち上がった須賀は茶葉の入った缶を手に取り、穏やかに瞳を細めた。
「いい香り……」


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