風に揺れる樹々の緑がすぐ目の前。
 吹く風も緑に染まって見えるここは、校舎3階のテラス。
 昼休みにはめずらしく、背中の体育館から聞こえてくる音もわずかだけ。校舎内のざわめきもどこか遠い。
 一人で静かにまどろんだならさぞかし心地がいいだろうと思うその場所に、けれど調子っ外れな歌声が先ほどから響いていた。


     


「ざっっだんかい! ざっだ、んっ、かいっ♪」
「あれ? 質問者、入倉じゃないんだ」
 ポッキーの箱を片手にやってきた寿人が、自分を待ち構える相手の姿を目に留めるやいなや、そんな一言を漏らす。
 言われた相手――寿人を呼び出した張本人――の龍太は、たちまち口を尖らせた。
「寿人までそんなこと言う! ……相手が俺じゃ、いやだった?」
 次にはしゅん、と肩を落としてみせる。
 そういうわけじゃないけど、と寿人が苦笑顔でポッキーを一本くわえ、歩み寄ってきた。
「ま、そうか。ここで直に入倉を俺にぶつけてくるほど、あの作者さんも考えなしじゃなかったみたい。あ、沖本も食べる?」
 向けられた赤い箱。それを今は丁重に断り、龍太は一度柱の陰へとそっと意味ありげな視線を送る。
 隣に立った寿人は、そんな様子に気づくこともなく眩しい青空を見上げていた。吹きつける風に気持ち良さそうにその亜麻色の髪をそよがせ、ふと薄茶色の視線が再びこちらへとめぐってくる。
「そういや、さっき寿人まで≠チて言ったよな。ってことは、沖本はもう回答したんだ」
「うん、したよ」
「相手、誰?」
 さりげなく訊ねてくる。
 それへ龍太は笑顔を返した。
「それは秘密なのだ」
 ふぅん、と相づちを打つ寿人は、特にその先を追うつもりもないらしい。あっけらかんと話の本題へと龍太を促した。
「じゃ、いいよ、俺にもどんどん質問して……って、俺ももう、訊かれることわかっちゃってるけどな」
「そこは知らないふりしとくもんだろー?」
 龍太は頬ふくらませ、わざとらしく怒ってみせる。
 すぐにノッた寿人もまた、しゅん、とわざとらしく萎れた様子をみせた。
「あ、そっか、ごめん……んー…………よしっ、忘れた!」
「俺、回りくどい言い方できないもんね。直球で行くよ?」
「どんとこい」
「寿人って、どんな女の子が好き?」
「ほんとに、どんときた」
「そりゃ、そうだよ。ほかにどんな訊き方すんのさ」
 龍太は寿人の手の中から一本、ポッキーを頂戴する。歯の先でかじりかじり答えを促せば、寿人はさして迷う様子も見せない。
「そうだな……まあ、月並みだけど、一緒にいて落ち着く人かな」
「落ち着く……ってことは、年上が好き?」
 ぽん、と思い浮かんだ姿がひとつ。むしろ、ひとつきりしか浮かばない。けれど、ここでそれを口にするのはまだ時期尚早だろう、と龍太はその先を噛み砕いたポッキーと一緒に飲み込んだ。
 一方の寿人も新しいポッキーをくわえ、いつもの笑み。
「俺に歳の差の概念はないよ」
「誰にでもタメ口だもんな、寿人は」
「沖本だって人のこと言えなくない?」
「そんなことないよ。先生とか月島さんとかにはちゃんと敬語使うもん」
「そう?」
 そうだよ、とうなずいたところで、話がわき道へそれ始めていることに気がついた。
 こういう企画は好きだし、得意。でも、それは相手にとっても同じはず。寿人のペースにはまったらそれこそ意味がないのだ、と龍太は鼻の上のメガネをきゅっと直した。
「じゃあ、外見は? やっぱり綺麗な人が好き?」
「そこは特にこだわらない。俺、自分がこんなだし」
「…………」
 こんなだし、と言った寿人はいつもと変わらない笑顔だ。
 その笑顔に意味をもたせるのはいつも向かい合う相手の方で、寿人自身がその言葉にそれ以上の意味を載せていないことはわかっている。わかっていながら、龍太は鼻の奥の痛みを堪えきれなかった。思わず潤んだ視界を手の甲でこすっていると、視界の端、体育館の柱の陰からテラスに伸びる細い影が形を変える。
 龍太は顔を上げると、寿人の手の中からポッキーをもう一本ちょうだいした。
「ね、さっき俺が好きなタイプ訊いたとき、寿人さ、誰かの顔思い浮かべただろ。好きな子いるの? なっ、なっ、誰? やっぱり、あの人?」
 こうなれば、こちらから仕掛けて主導権を握るしかない。
「完全に修学旅行の夜のノリだね」
 寿人はそれまで眺めていた都立公園から視線を180度転換させて、テラスの手すりへと背を預けた。そうして苦笑する口元に、ポッキーをもう一本。すぐに小気味いい音が聞こえてくる。
「なっ、あの人? 仲いいもんな、寿人とあの人」
 年上で仲がいいといえば、あの人。先ほど、ぽんっと浮かんだその顔。
 誰を言っているのかは、寿人だってわかっているはず。
 龍太はさらに畳み掛けた。
「なっ、誰?」
 ここで重要なのは、寿人の答えそのものじゃなく、寿人が答えるかどうか。話の引き合いにされたその人には悪いけれど、今知りたいのは寿人のその意思だけ。
 ところが、じっ、と息を潜めて待つ暇もなく、それはあっさり返ってきた。
「女の子はみんな好きだよ」
 にこ、といつもの笑顔を忘れない。
 はぐらかされたとしか思えない龍太は、ただ素直に顔をしかめた。
「それって寿人のキャラじゃないだろ。だからって、ほかの誰のキャラでもないけど」
「あはは、それ言えてる。素でそんなことを言うやつは、俺たちの中にはいないよなあ。まあ、しいて言えば、大沢さんくらい?」
 楽しそうに肩を揺らす寿人を横目に、龍太は長嘆息で座り込んだ。そうして、ぼそっとつぶやく。
「やっぱ、ゼロからシナリオ書けないって難しいなー……っていうか、明らかにこれはミスキャスト」
「え、なにそれ。どういうこと?」
 今度はポッキーを二本くわえた寿人が、きょとん、とした顔でこちらを見下ろしている。
 龍太はえりあしをかきやりながら、柱の陰へと視線を送る。
「寿人が答える気なくってつまんないって言ってるんだよ」
「好きなタイプは答えたじゃん」
「じゃあ、今好きな人はいる?」
 じっ、と見上げれば、返ってくるのはやっぱり得意の笑顔だけ。
「……へえーーー、そう、ふぅーーーーん」
「ずいぶんトゲがあるなあ……っていうか、さっきからちらちらどこ見てるの?」
「べつにー。じゃあ、次……今彼女はー……いないよな」
 努めて無関心を装いながらちら、と見上げれば、寿人は苦笑顔で肩をすくめている。イエスともノーとも言うつもりもないらしい。
 押してだめなら引いてみろ″戦は、失敗。
「元カノは? あ、これ、俺すっごい興味ある!」
「そんな沖本に喜んでもらえるような話は何もないよ」
「だって、中学のとき寿人モテただろ?」
「さあ……俺、男とばっかつるんでたしなあ……」
 再び勢い込んで訊ねれば、答える寿人に躊躇( ちゅうちょ )や逡巡( しゅんじゅん )はみじんも見られない。
 押しても引いてもだめなら、さらに押せ″戦も、失敗。
 さて、どうしたものか、と龍太は再び柱の陰へと視線をやる。
 と、
「……だからさ、何見てるの?」
 先ほどから怪訝な顔でこちらの様子をうかがっていた寿人が、そちらへと一歩踏み出した。
「あっ、だ、ダメ!」
「え?」
 驚く表情の寿人をその場に足止めさせ、龍太はそろりそろりと後ずさり。
 寿人が小首を傾げて、こちらの顔とその先にあるまだ見ぬ何かとを見比べる。
 ここらが引き際だ、と悟って、龍太は愛想笑いを浮かべた。
「質問、あと一つ残ってる! えと、寿人は遠恋できる?」
「…………」
「できるかできないか、2択で! 3! 2! 1! はい、どうぞっ!」
 ラジオのディレクターよろしくキューサインを出せば、
「できる――」
 つぶやいた寿人の口から、ぽろ、と残り短くなったポッキーがこぼれ落ちた。
 あ、とそちらへ相手が気を取られているうちに、龍太は後じさる足をさらに柱の方へと向ける。
 ちら、と目を走らせれば、その柱の陰に隠れて佇む一人の姿。しゃがみ込んで両膝を抱えている相手へ、龍太は小声で呼びかけた。
「一真」
「…………」
「一真……一真ってば!」
 じっと物思いに沈んでいた相手が、三度目ではっと顔を上げる。
「は、はいっ?」
「先に逃げて」
「え、は……」
 早く早くと急きたてれば、一真が慌てて立ち上がる。立ち上がったとたんに、よろめいた。
「わっ、俺、足がしびれ……」
 ドサ、とテラスに倒れ伏す音に、さすがの寿人も気づいたらしい。
「なに? 今の音……」
「なんでもないよ!」
 龍太はさっと一真の姿を自分の体で隠し、えへら、と笑ってみせる。
「へ、へえー、遠恋できるんだ、寿人。すごいや……あはは、じゃあ、座談会はこれにて終了! おつかれっ!」
 最後まで愛想笑いで手を振り、くるっと背を向けた。ようやく起き上がった一真の背を押して駆けながら、
「俺たちの話ちゃんと聞こえた?」
 一真、といつもの声音で呼びかけた後で、あ、と己の口元に手をやる。
 校舎の角を折れるところでちら、と振り返ってみれば、寿人は苦笑顔でこちらへと手を振っている。始めから気づいてたよ、と物語るその顔に、龍太はため息を一つ。
「あーあ……」
 もっとうまくやるはずだったのに。
 相手が寿人だと、なぜかいつもこう。
 それでも、と目の前を走る背中を眺め、わずかに瞳を細めた。
 それでも少しは二人で寿人の心のドア、ノックできたかな、と。
 そこでふと、風流れる青空へと視線を向ける。
「遠恋かー……」
 最後の問いに答えた寿人の声が、不思議と耳に残っていた。
「……俺、寿人に遠恋って似合わないと思うんだけどなー」

 見上げた真昼の空に、白い月。
 つぶやいた声は、さわやかな風に吹き流された。
 
 

End?


座談会、龍太&寿人篇でした。
龍ちゃんが企んでいたのは、こういうことだったらしいです。笑
龍ちゃんには「ミスキャスト」と言われちゃいましたが、きっと龍ちゃんじゃなきゃ寿人くんにここまでしゃべらせることはできなかったんじゃないかとチコリは思うのですよ、ええ。(←誰?)

二人の会話を聞いてた一真くんは何を思ってたんでしょうね(*'-'*)

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