部室のドアに鍵がかかっていた。
「あ、そうか……今日はボスがいないんだっけ」
 部室の鍵を持っているのはボスだけだ。部員が合鍵を持つことも許されていない。そこまで重要なモノがこの部屋に保管されているかどうかは、それを考えるやつの想像力にお任せするけどさ。
 ともかく、ボスが放課後に残れないときには鍵を(一応)顧問の氷川(ひかわ)っちに預けていくことになってはいるけど、この時間に開いていないということはボスが預けるのを忘れたか、はたまた部員たちがほかに誰も残っていないかだ。
 右腕の腕時計を見ると、もうあと10分ほどで午後も5時になる。下校時刻の5時半ぎりぎりまで部室で作業しようと思ってたけど、今から氷川っちのところへ鍵を確認しに行くのはかなり面倒に思えた。
「しゃーない、教室でやるか」

 というわけで、HRのサンナナ(307教室)で一人作業をしていたときのことだった。
 帰宅部のやつらはもうとっくに学校の外で自由に羽を伸ばしてるし、部活があるやつもそれぞれの縄張りで帰り支度をしている頃。教室には一つもカバンが残っていない。ただ一人(もちろん、俺)を除けば、だけど。
 俺の鼻歌がやけに大きく聞こえるほど静かだった教室に、唐突にガラガラと音が響いた。



     



「あれ、まだ残ってるやついると思ったら、ジロ?」
「おう、お疲れ」
 前方の出入り口から顔をのぞかせたのはクラスメイトの綾井寿人。寿人は俺の机の上を見るなり、薄茶の(光の加減によっては緑みがかって見える)瞳をわずかに丸くした。
「ずいぶんいっぱい机に広げてるなあ……それ、出版の仕事?」
「まあな。寿人はどうした? バスケ部もあがりの時間だろ?」
「うん、忘れ物。グラマーの教科書ないと予習できないからさ」
「は?」
 俺はつい眉根を寄せて聞き返した。ほかのやつが言ったなら何も気にならない。でも、こいつの口から出ると話は別。
「おまえがグラマーの予習? 必要ねーだろ、母国語なんだから」
「買いかぶられてるなあ、俺……実は毎日必死で勉強してるんだよ」
 寿人は苦笑したかと思うと、真顔でそう言った。
「嘘付け」
 寿人は軽く肩をすくめ、窓際の自分の席へと歩いていく。
「アンケート調査でもやってるの? それ」
「そう、寿人もついでに答えてく? 帰り支度しながら終わっちゃうからさ」
「ん、いいよ。俺こういうの嫌いじゃないし」
 寿人もいつもこういったことには協力的だ。「嫌いじゃない」と言葉どおり、特に好きでもないようだけど、あからさまに断られたりいやな顔をされたことはこれまでない。
「んじゃ、一問目。学校の中で一番好きな場所はどこ?」
「んー、好きな場所かあ……改めて訊かれると難しいな」
「そうか? 会室≠チて、即答がくるかと思ったけど」
「よく俺のこと見てるね」
 寿人がおかしそうに笑う。でも、次の俺の言葉には、また薄茶の瞳を丸くした。
「そりゃ、興味あるから」
「興味?」
「うん、すげーおいしそうな素材だよ、寿人って。でも料理するのはすげー難しそう」
 俺が苦笑すると、とたんに寿人の瞳にイタズラ好きな影が走った。
「それってほめ言葉? それとも、けなしてる?」
 訊かれて、俺は首を傾げる。どっちだろう。素材がいいというのは、きっとほめ言葉。でも、その後は?
「さあ、俺もわかんねーや」
 俺が肩をすくめると、寿人はなぜかにっこりと満足げな笑みを浮かべた。寿人の笑顔は愛嬌があって、同性の俺から見ても文句なしにカワイイ。ヴィジュアルがいいとかそういう話以前に、なにか心をくすぐられるのだ。きっと、こういうのを人好きのする笑顔っていうんだろう。
 さ、アンケート調査を続けよう。
「さあて、会室じゃないんなら、どこだ?」
「うーん……正門とか、正面玄関とか?」
「なんで疑問形?」
「だって、学校の中じゃないから」
「ああ、そういうこと。それはかまわないよ。学校の中っつっても、敷地内のことであって校舎のうち限定ってわけじゃないから……ってことは、外観が好き?」
「好きだよ。正門のアーチも、レンガの階段も、玄関のポーチもかわいいよな」
 へえ、学校の外側を答えたのは寿人が初めてだ。なるほど、そういう考えもあるのか。というか、俺の訊き方もまずかったかな。ほかにもそう答えるやつがいたかもしれない。
「そだな。1階のロビーも含めて欧風趣味入ってるから、あんまり学校っぽくないかも」
 通い慣れた今では特に感じないけど。ああ、もしかして寿人は地元っ子だからかな。俺たちはよその街から電車に乗って通ってくるけど、寿人はここに暮らしてる。俺たちよりもよほど長い時間、この校舎とともにある。だから、このハコ(建物)そのものに何か違うモノを感じてるのかも。
「ま、生徒の中で一番違和感なくこの外観に収まるのは寿人だろうな。あ、これはほめ言葉だぜ」
 くす、と笑い、寿人は小さな声で「サンキュ」と言った。
 カタカナじゃなくて「Thanks.」って言ってほしかったな。ちらりとそんなことを思った。
「んじゃ、もう一問な。学校の中でまだ一度も入ったことはないけど、興味のある場所は?」
「茶室」
「こっちは即答だ」
「うん、茶室。1年のときからずっと入りたいって思ってるんだけど、まだ入ったことないんだよなあ……うちの学校って一足制だろ。体育館に入るとき以外はずっとスニーカー履きっぱなしだからさ。スニーカー脱いで畳の上にゴローンてしたいなあ……」
 饒舌に語りながら、寿人は本当に眠そうに目を手でこすった。無邪気な仕草につい笑いを誘われる。
「……茶室の鍵がなんでやたらと厳重なのか、わかった気がする」
「え?」
「開放なんてしたら、授業サボって昼寝するやつが後を絶たないからだよ、絶対」
「ははっ、そうかも」
「てかさ、寿人ん家には和室ってあるの? まさか、ちゃぶ台囲んで食事なんてしねーよな?」
 寿人の家については非常に興味がある。アイルランドのクォーターっていっても寿人は向こうの血を濃く受け継いだのか、見た目はまるでダブル。ピュアだと思う人もいるかもしれない。ってことは、ダブルの親御さん(見たことはないけど、たぶん母親)はもっと異国情緒あふれた人だろう。そんな人と寿人が和室で並んで正座している図は、あまりぴんとこないんだよなぁ。俺の世界が狭すぎると言われればそれまでだけど。
 少しの間、俺の顔をじっと見て、寿人は茶目っ気たっぷりに笑った。
「……それはジロの想像にお任せしようかなあ」
「え、なんでヒミツ? かえって気になるんだけど!」
「そんなどうでもいいこと気にしてないで、もっとほかの大事なこと考えなよ。じゃ、また明日」
 寿人の言うことはもっともだ。でも、
「……やっぱり気になる」
 一年以上見てれば、そりゃ、あいつの日本人離れした顔にも見慣れたけど。さすがに和室で一家団らんの図はなぁ……。そもそも、この街が寿人の地元だとは知っていても、実際にどの辺に、どんな家に住んでるのかは知らない。あれだけ人好きのするやつなのに、なんだか正体がつかめない男だ。
 あ、しまった。お礼のキャンディやるの忘れちまった。よし、明日キャンディ渡しながらまた訊いてみるか。それとも奮発して《清月庵》(せいげつあん☆1)に誘ったら話してくれるだろうか。やっぱり、ひょうひょうとうまくかわされるんだろうか。
 綾井寿人、とんでもなくおいしそうで、料理するのはこのうえなく難しい高級素材。でも、いつかきっと俺がおまえの最高の味を引き出してみせるからな。楽しみに待ってろよ!



End?


(memo)
☆1:早瀬通りの近くにある九条生行きつけの和風甘味処。そこのあんみつパフェが寿人は特にお気に入りらしい。
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