「昼休みに学食を選んだのは、やっぱ正解だったな」
 1年生の数は少なかったけど(まだ2、3年への遠慮があるんだろう)、いろんな生徒が来ててそこそこおもしろい回答も集まったし、女の子たちのおいしいお弁当もつまみ食いさせてもらったし(これはかなり重要だ)。でも、昼がつまみ食いだけじゃ、さすがに腹が減ったな。いーや、これ食べちゃえ(後で30円払います、ボス)。
 ペロペロキャンディをくわえながら放課後の西階段を上っていくと、ふっと視界に影が差した。見上げれば、4階へと続く踊り場に人影が一つ。窓から差し込む太陽が逆光となって顔の造作はわからないが、あのシルエットには見覚えがある。
 あれは、われらが九条生憧れのその人に違いない。



     



「あれ、いま一人?」
 俺の声に振り返ったその人、梅田恋次はいつものように、にこ、と微笑んだ。
「ああ、ジロ。お疲れ。その様子だと仕事中?」
「ん、アンケート調査。1階からぶらーっとうろついてきた」
「おもしろかったか?」
「そこそこな」
「そこそこか」
 くす、と恋次が笑う。どっから見ても男前の恋次が実は笑い上戸なのは、今では九条生のたいていが知っている。いったん笑壺をくすぐられると止まらないだけでなく、小さなことにも笑顔を見せてくれるから、話してるこっちも気分がいいんだ。
「恋次はこんなとこでなにしてんの?」
「外を眺めながら一人アフタヌーン・ティー」
 見れば、右手に湯呑みを持っていた。柔らかなウグイス色の地に梅の花が描いてある。会室でいつも恋次が使っているやつだ。
「お茶すんなら会室でやればいいじゃん。こんな階段の踊り場じゃなくて」
「ここが落ち着くんだよ。校庭を見晴らせて気持ちいいし」
 艶(えん)な微笑を浮かべて、恋次が校庭へとまなざしをやる。風に漆黒の前髪がさらりと揺れて、俺が女の子だったらキュン死にしそうな絵だろうな。
「……確かにな。この学校、HRは全部表の通り側にあるから、あんまりゆっくり校庭を眺めることってないかも。なるほど……ってことで、コレもいただいていい?」
「回答のサンプル?どうぞ、ジロの役に立つのなら」
 快くうなずいて、恋次は湯呑みを口に運ぶ。なに飲んでんだろ。煎茶(せんちゃ)や番茶ってことはないだろな。そんなことを考えながら、俺はだいぶ残り少なくなったメモ帳に鉛筆を走らせた。
「サンキュ。【好きな場所】西階段の踊り場【理由】校庭を見晴らせて気持ちいいから――っと」
「出版委員も大変だな」
「九条会に言われちゃかなわねーな。俺らを統率してんのは、あんたらだろうが」
 顔を上げなくても恋次が黙って苦笑しているのが気配で分かる。
 出版部はバスケ部やブラスバンド部なんかと同じ一般の校内団体の一つと数えられているが、「出版委員会」と名乗れば、それは九条会直属の機関に変わる。その違いをよくわかっていない一般生徒も多いけど、俺たちには小さなプライドってもんがあって……今も、そんなプライドがつい顔を出した。
「まあ、出版部として発行してるモノに関しては、こうやって好き勝手やらせてもらってるけど」
「当然だな。検閲なんて権利はどこにも存在しないよ」
 本当に「当然だ」と恋次の顔には書いてある。その表情を見て、たまらず反省した。
「……ごめん。なんか今の俺の言葉、トゲがあったかも」
「そうか? 何も気にならなかったけど」
 いつもと変わらない笑顔でお茶を楽しむ恋次の隣に、そっと立ってみた。見下ろす校庭ではサッカー部員たちが風の中を気持ちよさそうにボールを追って駆け回っている。
「なあ、さっきサンプルにもらった回答だけど、本当にこの場所でいいのか?」
「え?」
「質問の全文はさ、学校の中で一番好きな場所は?≠ネんだよ。確かに恋次はここが好きかもしんねーけど、一番ってなったら、やっぱほかに思いつくとこがあんじゃねーかな、と思ってさ」
 ちら、と横目で見ると、恋次の顔が一瞬きょとん、となる。が、すぐに俺の言いたいことを察したらしい。
「ああ……いや、この場所だよ。ジロが言ってるほかの場所≠煌mかに好きだし、大事な場所だけど、そこはあの人たちに譲ってあげたいかな」
「会長と副会長?」
 にっこりと優しい笑顔で恋次はうなずいた。
「あの人たちだって、もしかしたら違う場所を答えるかもしれないぜ?」
「それならそれでいいよ」
「ふぅん……じゃあ、サンプルいただくついでにもう一問。学校の中でまだ一度も足を踏み入れたことはないけど興味のある場所はどこ? ……」
 訊いてる途中で愚問だと思えた。生徒会組織の人間に訊くことじゃないよな、これ。
「っていうか、九条会の人間が入ったことない場所なんてあるか?」
「あるよ」
「え、マジ?」
「女子更衣室とか」
「! 言うな! 冗談でもおまえがそういうこと言うな!」
「ぶっ……そんな必死に怒鳴らなくても……」
 恋次の笑いの虫に火がついた。楽しげに肩を揺らしている。よっぽど俺の顔がおかしかったんだろう。でも、今のは俺じゃなくたって思ったはずだぜ。
「もういい、質問した俺が悪かった……」
「待てって、ジロ。本当にあるよ。まだ入ったことなくて興味のある場所」
 恋次の声はまだ楽しげだ。半ば投げやりに俺は聞き返す。
「どこだよ」
「そこ」
 恋次の長い指が、まっすぐに階段の下へと向けられた。
「3階の旧・生徒会室(☆1)」
「…………」
 聞き返さなきゃよかったと、正直思った。なんて言葉を返そうか迷っているうちに、恋次のほうから言ってくれた。
「あ、ごめん。龍ちゃんが俺のこと捜してるみたいだから、もう行っていいかな」
 廊下の向こうで恋次を呼ぶ龍太の声が聞こえていた。
「あ、ああ……うん。あ、そうだ、コレ、やる」
「キャンディ?」
「取材協力のお礼だよ。サンキューな」
 こちらこそ、と恋次はどこから見ても好青年のスマイルをこの場に残して、階段を上っていく。現在使われている4階の新・生徒会室に湯呑みを置いてくると、再び俺の前を通って2年のHRが並ぶ3階へと降りていった。
「お疲れ、ジロ」
「うん……」
 旧・生徒会室、か。ただの出版部としての俺なら、目を輝かせて追っかけるネタなんだけどな。果たして取り上げていいものやら(ボス、どうする?)。
 しっかし、階段の踊り場で一人午後ティーって、何か考えごとでもしてたのかな。男前で跡取り息子とくりゃあ、人生余裕そうなのに。いっつも涼しい顔で笑ってるあいつにも、悩みなんてあるのかなぁ……。
 同じ場所に立って同じ景色を眺めても、残念ながらその答えはわからなかった。



End?


(memo)
☆1:3階の回廊端にある。4階の生徒会室と同じ構造の部屋。
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