「んー、やっぱり1年生はどれも似たり寄ったりだな」
 4階をひととおり歩き回ったものの、成果は60点くらいかな。入学してそんなに間がない1年生はそもそも校内の地理に明るくないし、それよりも高校生活に早く慣れることに必死だ。
「ま、かわいかったからいいけど」
 おもしろい回答は少なくても、答える1年生の初々しい様子は一種の清涼水。俺にもこんな頃があったのかな、なんて、つい一年前を振り返りたくなった。もう少しふてぶてしいやつがいてもいいくらいだけど、そういうやつとの出会いは、きっとこれから先いくらでもあるだろう。
「しかし、それにしちゃめずらしい答えだったな……」
 ふと思い出したのは、最初に声をかけた1年生、一真くん。一番好きな場所に「多目的ホール」と答えた一年生は彼だけだ。それが悪いことはもちろんないけど、そもそもあの子が「多目的」によく行くようになったきっかけって、何なんだろう。
 そんなことがつい気になるのも、出版部員の性ってやつかな。いつか機会があったら訊いてみよう。
「よし、次は1階だな」
 この時間なら、1階のロビーは部活中や下校前の生徒でにぎわっているはずだ。



     



「お、ちょうどいいとこに発見!」
 西階段からレンガ敷きの廊下へと足を置いたとたん、よく見知った2年生を見つけた。サラサラの黒髪を揺らして振り返ったそいつ、沖本龍太は俺の顔を見るなり無邪気に笑う。
「あ、ジロじゃん。なになに? 俺発見されちゃった? あ! そのメモ帳持ってるってことは……」
「そ、ご推察通り。出版部の企画でさ、今アンケート調査中なんだ。そんなに時間はとらせないから、ちょっと話聞いていいか?」
「オッケー! あはっ、俺こういうの大好き!」
 龍太には一度たりとて断られたことがない。こういった突然のアンケートにしろ、部活や行事にまつわる正式な取材にしろ。いつもこの満開の笑顔で受け入れてくれる。小さいけど、でっかいやつだ。
「サンキュ。では、さっそく……学校の中で一番好きな場所はどこ?」
「好きな場所? いっぱいあるよ。嫌いな場所なんてないもん」
 こう答えてくることは、これまでの経験で織り込み済み。
「ほんとかよ。数研とか理研とかは? 毎日行きたいか?」
「う゛っ、それは……」
 斬って返せば、やはり予想通りの反応が返ってきた。とはいえ、それは相手も承知済みだ。ころっと表情を変えたかと思うと、龍太は楽しげに話し出す。
「俺が一番好きな場所か……やっぱり教室かな」
「HR(ホームルーム)ってこと?」
「うん! だって、教室に来れば絶対みんなに会えるじゃん。大好き!」
 100%本気だろうその笑顔に、少し胸が詰まった。こいつに取材していると、たいてい一度はこういう気分になる。
「そっか……そうだよな」
「あれ? ジロ、元気ないね。どうしたの?」
「や、ちょっとな……」
「友達とケンカした?」
 実に鋭い。出版部にスカウトしたいくらいだ。
「……わかるか?」
「そりゃ、わかるよ。寂しそうな顔してるもん。俺、事情はわかんないから謝っちゃえ≠ニかは言わないけどさ、早く仲直りできるといいね」
 さっきの無邪気な笑顔から一転、穏やかな声。計算なのかな、無意識なのかな。そう迷った時点で、「ああ、こいつには勝てないな」っていつも思うんだ。
「……明日、謝ってみる」
 がんばれ。
 声には出さないけど、目の前の口がそう動いた。笑顔とガッツポーズのおまけ付きで。
 うん、がんばれそうな気がしてきた。ちなみに、俺が誰に謝らなきゃいけないかは、トップシークレット。わざわざここに書くつもりはないぞ。
「ゴホン、えー……んじゃ、もう一つ質問な」
「うん」
「さっきとは反対に、学校の中でまだ一度も訪れたことはないけど興味のある場所は?」
「まだ入ったことない場所、か。そういえば一年以上ここに通っても、まだ知らない場所ってけっこうあるかも」
「だろ? こうして聞いて回ってると、九条スタンダードな場所って意外と少ないんだぜ」
 そうなのだ。そりゃ、これだけの人間がいれば選ぶ答えも多様でけっこうだけれど。このたいして広くない校舎の中でも、それぞれが自分の決まった行動範囲の中で毎日の学校生活を送っているらしいと感じる答えが思いのほか多かった。いくつか例外はあるけどな。つまり、多くの生徒に選ばれた場所ってことだけど。
「んー……行ったことなくて行ってみたいとこ……行ったことなくて行ってみたいとこ……あ、思いついた。校長室!」
「校長室、人気あるなぁ」
 その例外の一つが、それだ。思わず笑うと、ちょっと不満そうな声が返ってくる。
「え、みんな言ってる?」
「わりとな」
 うなずいてみせれば、つまらなそうに口を尖らせた後で龍太が訊ねてきた。
「ジロは入ったことある?」
「いやー、ないな。前に校長先生に出版部で取材したことあったけど、担当はほかの先輩だったし……」
 校長室に入る機会というのは、そうそうあるもんじゃない。フツウの日常を送っていたら、まず縁のない場所だろう。何かよからぬことをやらかしたか、反対に何かすごい活躍をしたか。そういう両極端に針が振れたときにだけ現れる魔法の扉みたいなもんだろうか。
「ある意味ファンタジーだよな」
「へえ! ジロの口からファンタジーなんて言葉がでてくると思わなかった」
 そこまで意外な顔しなくてもいいだろ。
「じゃあ……日常の中の非日常」
「そんなとこだね。だいたい、校長室ってどこにあるの?」
 龍太のその言葉に、今度は俺がぽかんと口を開ける番。冗談? 本気? 迷ったその瞬間、もっと不思議そうな顔で見返された。
「ジロ?」
 こいつ、本気だ。
「……あそこのプレートになんて書いてある?」
 龍太が首を傾げながら正面のドアの上を見上げた瞬間、ただでさえ大きな目がさらにまん丸になる。
「校長、室……えっ! あった! うわー、俺、校長室がどこにあるのか今初めて知ったよ。こんなとこにあったんだ!」
 ひとしきり子どものようにはしゃいだかと思うと、何を思ったのか、突然駆けだした。
「恋ちゃんに教えてあげよう!」
「恋次ならとっくに知ってると思うけど――って、聞いてねーし。あ、おいっ!」
「なーにー?」
「これ、取材協力のお礼! ほらよ!」
「ありがと! じゃねー!」
「前見て走れ! 転ぶぞ!」
「だいじょぶだいじょ――うわぁっ!」
 ドシン、と派手な音が1階の廊下に響きわたる。助けにいこうかと駆け出しかけて、俺はすぐに足を止めた。近くを通りかかった3年があいつのもとへ駆け寄っているのが見えたから。それは偶然? 必然?
「必然、なんだろうな……」
 あいつが困ってると、いつだって周りの人間は放って置いてはいられないんだ。今は俺の出番じゃなかった。だから、龍太のことはあの3年に任せて、仕事を続行することにしよう。
 くる、ときびすを返して歩きだせば、「校長室」はもう目の前。しかしまあ、2年にもなって校長室の場所さえ知らないとはご愛敬なやつ(校長がんばれ!)。それでも、一問目の答えをこの部屋の中で聞いていたとすれば、校長先生もきっと喜んでるだろう。
 こんなに九条を愛してる生徒がここにいるってな。
「教室に行けばみんなに会えるから大好き、か……」
 ほんと、誰かを想うことにかけちゃ、あいつは天才だ。



End?



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