俺はジロ。出版部の2年。本名は鈴木二郎。「惜しい名前だね」って、昔からよく言われたもんだ。名前の棒線が一本少なかったら、俺も今頃は毎日ストイックにバットを振ってたのかなって、思わなくもない。でも、俺は次男だ。二番目がイチローじゃ格好つかないだろ? 
 だからって、兄貴の名前がかのスーパースター(☆1)と同じかというと、そうでもない。兄貴は一輝(イッキ)。訊いたみんなは「いい名前だね」って言いながら、結局はがっかりするんだ。それが、けっこうおもしろい。
 他人の話を聞くのがおもしろいと思うようになったきっかけって、実はそんなところからだったりするのかも。名付けてくれた親父に感謝するぜ。
 そんなわけで、イチローじゃなくてジローの俺は、今日もバットではなくメモ帳と鉛筆を握って校舎内をうろついているというわけだ。

「さーて、どこからまわろうかな」
 歩きながらつぶやいた俺を、すれ違う女子が笑いながら振り返った。またいつものことだと、おかしく思っているんだろう。
 部室がある5階の廊下は、東の第一音楽室から聞こえてくる楽器の音でいつもやかましい。だから考えごとをするときには自然と声が出てしまうのだ。
 そして、特別教室しかないこの階を放課後に一般生徒がぶらぶらと歩いていることはまずない。ブラスバンドの連中はたくさんいるけど、練習中、音楽室は完全に部外者シャットアウトなのだ。前にうちの部員がこっそり忍び込んだら、えらい目にあったと、半泣きで帰ってきた。別に悪いやつらじゃないよ。ただ練習に熱心なだけだ。
 ま、何はともあれ、下に降りなきゃ始まらないだろう。



     



 中央階段を下りると、ちょうど階段前の広場に男が一人いた。真新しい制服のあの様子からすると1年生かな(ちなみに今は4月の末)。
「君、ちょっとごめん。今、出版部の企画でアンケート調査中なんだけど、少し話を聞かせてもらってもいいかな?」
「あ、はい。俺でよかったら」
 うわー、礼儀正しいな。初対面の俺にも全く構えたところがないのは、普段から年上のやつを相手にするのに慣れてるのかも。純朴そうな笑顔に、俺もつい顔がほころんだ。
「ありがとう。では、さっそく……学校の中で一番好きな場所はどこ?」
「4階の多目的ホールです」
 即答だ。まだあまり通い慣れてない1年生には難しい質問かと思ってたのに、意外。そのうえ、返ってきた答えも意外だった。
「多目的ホール? いきなりレアな場所が飛び出して、俺ちょっとびっくりだけど……その理由は?」
「え、と……教室より広々として気持ちいいし、窓からの眺めも最高なんですよ。ぼーっと都立公園を眺めてると、あっという間に時間が経っちゃうんです」
 1年生は大きな瞳がより印象的に見える短めの前髪を指でひっかきながら、ゆっくりと言葉を選ぶように答えた。なるほど、純朴そうなのは見た目だけじゃないんだな。
「へえ、多目的ホールって授業では使用されないし、一般生徒にはあまりなじみのない場所だよね。君は部活か何かでよく行くのかな」
「そんなとこです」
「そっか。部員だからよく知っている場所っていうのは、それぞれ部によってあるんだろうな。自分たちだけの特別な場所が」
「そうですね、あると思います」
 どうも返事が曖昧だ。少し気にはなったけど、この子にはこの子の事情があるんだろう。うちは部活動全員参加型の学校じゃないしな。
「教えてくれてありがとう。俺も多目的ホールに立ち寄る機会があったら、ゆっくり窓からの景色を楽しんでみるよ」
 ぶっちゃけ、こんなに立地のいい都立高はほかにないって、俺も思ってる。そう言うと、目の前の大きな瞳がぱっと輝いた。
「俺はここが地元なんで、この街を好きって言ってもらえるとうれしいです」
「お、地元っ子?」
「バリバリ徒歩通学です」
「うぉ、うらやましい」
 九条生のほとんどは他学区域に暮らしている。都心ゆえの理由で都内全域から生徒を集めているこの学校では、地元っ子は希少かつ貴重な存在。地元の子どもたちが通ってこそ、地域に愛される学校となるからだ。
「じゃあいつか、地元っ子だから知ってるこの街の裏側とかぜひ取材させてほしいな」
「裏側、ですか? そんなのあるかな」
「期待してるよ」
 俺の言葉に彼は苦笑顔でうなずいた。しまったな、「裏側」なんて、こんな子に言うべきことじゃなかったかもしれない。そんな少しの罪悪感がちくりと胸の内をよぎった。
「もう一つ質問してもいいかな?」
「はい、どうぞ」
 彼は特に気分を害した様子もない。よかった。
「さっきとは反対に、学校の中でまだ一度も訪れたことはないけど興味のある場所って、ある?」
「え、と……そうだな……あ、天文台です!」
「天文台? 説明会の時に入らせてもらわなかった?」
 毎年開かれる学校説明会では校内の主な場所を見学できる。その一つに、必ず屋上の天文台も含まれていたはずだ。俺も説明会の時に入らせてもらって感動したクチの一人だったりする。
「俺の時は大雨で開放してもらえなかったんです。だから一度は入ってみたいですね」
 彼は残念そうにわずかに目を伏せた。くしゅんと耳を垂れたわんこのようで、カワイイ。
「じゃあ、夏休みに来るといいよ」
「夏休み?」
「うん、毎年夏休みに天文部主催の 『夏星観察お泊まりツアー』 があるんだ」
 彼の目がきょとん、となった。
「学校に泊まるんですか?」
「そうだよ。部員だけじゃなくて、一般生徒も参加できる」
 このツアーは毎年なかなかの人気で、一度参加した生徒がリピーターになるケースも多いとか。天文部員が得意げに話していたもんだ。確かに学校に寝泊まりできるなんて、めったにない機会。俺もこの夏は参加してみようかと思ってる。だって、星のキラメキ以上にときめくドラマがありそうじゃん。
 きょとん、としていた彼の目が、また輝いた。
「うわー、楽しそうですね。ぜひ友達と参加したいです。あ、でも夏休みって……」
「あ、大丈夫大丈夫。1年生の《嚆矢苑》(こうしえん☆2)とは日にちが重ならないようにちゃんとなってるから」
「それならよかった」
 楽しみです、とにっこり笑った彼につられて、俺もまた微笑み返した。優しく微笑みかけるなんて、俺そういうキャラじゃないはずだけどな。
「時間とらせて悪かったね。あ、自己紹介が遅れたけど、俺、出版部の2年。みんなにはジロ≠チて呼ばれてるんだ」
「俺は遠藤です」
「遠藤なにくん?」
「一真です。数字の一に、真実の真」
「へえ……一真、か。ぴったりの名前だ」
 思わず感心すると、一真くんははにかむようにまた前髪を引っかいた。それ、癖なのかな。
「あ、それと、これ。協力してくれたお礼のお菓子。30円のペロキャンだけど、よかったから食べて」
「いただきます」
 うれしそうに笑って一真くんはキャンディを受け取った。甘いものが好きそうだ。ぺこりと頭を下げて、最後まで礼儀正しかった。そんな彼に手を振って俺も歩き出す。
 これからの三年間で、この学校の中にあの子の好きな場所がもっとたくさん増えたらいいなと思う――って、俺も考えることがオヤジになったなぁ……。
 でも、今はちょっといい気分。



End?


(memo)
☆1:かのスーパースターは「朗」の字なので、二郎の傍線が一本減っても同姓同名にはならない。
☆2:夏休みに1年生だけが参加して行われる九条高校の伝統行事。6泊7日で全員参加が基本。

拍手お礼では会話文のみでしたが、番外編にのせるのに合わせ、大幅修正。
このサイト内、初の一人称です(・∀・)

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